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通算45勝、賞金女王3度輝いた 大迫たつ子

通算45勝、賞金女王3度輝いた 大迫たつ子

写真/アフロ

他のスポーツと違い、“プロゴルファー”の肩書きは一生ものだ。現役を退いても、レッスンをしているだけで“プロゴルファー”でいられる。だからあえて引退を宣言する者はそう多くない。最近こそ女子プロは、現役引退を宣言し、他の道に進んだり、結婚したりするケースもあるが、以前の日本では非常に珍しいことだった。その現役引退をやってのけたのが大迫たつ子だ。

1977年に樋口久子の10年連続女王を阻止

1971年プロテスト合格の女子プロ8期生で、それまで樋口久子しか取ったことのなかった賞金女王タイトルを、初めて奪ったのが1977年のこと。その後、1980年、1987年と3度、頂点を極めている。

1952年の辰年に、宮崎県西諸県郡で11人兄姉の末っ子として生まれたから、たつ子。中学卒業後に宝塚GC(兵庫県)にキャディとして入社したのが、ゴルフと出会ったきっかけだった。

仕事をしながら尼崎南高の定時制に通っていたとき、女子プロ1期生誕生を新聞で知り、プロゴルファーを目指すことを決意した。職場所属だった古賀春之輔プロに弟子入りして切磋琢磨。高校卒業後、すぐにプロテストに合格した。プロになることを決めてから約2年での快挙だった。

1975年の日本女子プロ東西対抗を皮切りに勝ち星を重ね、樋口を尻目に賞金女王となった1977年はトヨトミレディス、オールスター、美津濃トーナメント、西海国立公園女子オープンと4勝。22試合で1448万1500円を稼ぎ、樋口(2位)、岡本綾子(3位)を相手にしての快挙は、同時に樋口の10年連続女王にストップをかけたことで歴史に残っている。

2度目に賞金女王となった1980年は、賞金女王に返り咲いた樋口の3年連続タイトルを阻止。3度目の1987年は、涂阿玉の6年連続女王を阻むものでもあった。

安定したプレーぶりは、1972年のデビュー戦・日本女子プロゴルフ選手権から1985年のヤマハレディスまで278試合連続予選通過の記録にも表れている。1988年には日本の女子プロゴルファーとして史上初の生涯獲得賞金4億円突破を果たしたが、後半はペースダウンして2年連続の女王にはなれず、吉川なよ子にその座を奪われた。

1989年に左股関節亜脱臼で戦線離脱

1988年後半の失速の原因となった左足のウオノメ悪化に由来する、左股関節亜脱臼に襲われたのは1989年のこと。左足を引きずるように歩く痛々しい姿が見られるようになり、6月から約1年間、ツアーを離れることになってしまった。

しかし、治療と懸命のリハビリで1990年6月にカムバック。翌1991年は故障の最大の原因となったウオノメ切除の手術を受けて臨んだ。9月の日本女子プロゴルフ選手権では、1987年の米女子ツアー賞金女王・岡本綾子と激戦を繰り広げた末、3年ぶりのツアー優勝を飾った。

1994年に異例の現役引退宣言

だが、故障によるブランクもあり、1994年にはシーズンいっぱいでの現役引退を決意。10月にメディアにリリースを流し、「もう勝てない。それが理由です」といい切った。最終戦では、通算45勝、うち公式戦8勝の永久シード選手の引退を仲間たちが惜しんだ。

引退後は更新やアマチュアの指導、テレビ解説、ツアーディレクターを務め、2016年には日本プロゴルフ殿堂入りを果たしている。

文/小川淳子(ゴルフライター) 

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